問題になる場面
婚姻費用や養育費について、当事者間で合意がされることはよくあります。
それはそれで全く問題がないことですし、合意があれば、通常はそのあとに何か事情変更がない限り調停や審判になることはないでしょう。
しかし、一口に「合意」といっても、よくよく話を聞いてみると色々なケースがあります。
たとえば、①どちらか一方が「月10万円、これ以上は渡さない」と言って、もう一方が、本当は不満があるのに怖くて何も言えずに「わかりました」と言ったケースはどうでしょうか。
これと似ていますが、②どちらか一方が「月10万円、これ以上は渡さない」と言って、もう一方が、本当は不満があるのに早くお金が欲しいから「わかりました」と言ったケースはどうでしょうか。
個人的には、①も②もどちらも合意が成立したとなり得ると思います。もっとも、①は「怖くて何も言えずに」というところが、それまでの夫婦の関係性や、実際に暴力が振るわれていたのかどうかなどの状況によっては、合意が成立していないとなる可能性もあると思います。
合意(=契約)の成立
婚姻費用や養育費について合意することも契約の一つですが、契約は、申込みと承諾の意思表示が合致することによって成立します。
売買契約であれば、ある商品を「買いたい」という申し込みと、「売ります」という承諾と、双方の意思表示が合致することで成立します。
もっとも、実際には様々な要因についての意思表示がなされ、それがひとつずつ整理されてようやく意思表示が合致するに至るのであって、そうそう単純なことではありません。
そこで、その合意に至るまでの状況や、合意をするときの状況、そのあとの状況を考慮して、当該合意が真意に基づいて確定的にされたものかどうか、ということが重要なポイントとなります。
裁判例のご紹介
婚姻費用について、手続外で当事者がした合意が成立していないと判断して、別途裁判所が審判で金額を定めた裁判例に接しましたので、ご紹介します。
東京高決R5.6.21
細かいことはよくわかりませんが、本件の当事者間でこのようなやりとりがされました。
夫:生活費を渡していないので振込をします。金額は、こちらの生活もあるので5万円とさせてください。振込先を教えてください。今後は離婚のことも話を進めていきませんか。
妻:5万円で承諾しました。ありがとうございます。私は養育費、慰謝料、今後私が働けるようになるまでの最低限の生活費をいただけるのであればもう(夫婦関係の)再構築は望みません。金額についてはわからないので、専門家とも相談します。
このやりとりがあった2か月後に、妻が婚姻費用分担調停を申し立てました。
調停ではまとまらず審判になり、原審判は、このやりとりをもとにして、当事者間には婚姻費用を月額5万円にするという合意が成立していたと認定しました。
これに対し、東京高裁は、合意の成立を否定し、改めて当事者の収入から改定標準算定方式にしたがって(つまり通常の「算定表」の考え方に則って)月額11万円の支払いを命じました。
先ほど述べた、合意に至る状況、合意の際の状況、合意後の状況を検討して、合意の存在を否定したようです。
少なくとも、普通は「婚姻費用」というものがどういう性質のものか、それがどのように定まるものか等の知識がないと金額の妥当性が判断できないでしょうし、金額の妥当性が判断できない限りは婚姻費用についての確定的な合意がされたとは言えないと思います。
他方で、本件も一つの事例ですが、どこまで話し合いをしていれば、どの程度の知識があれば、どれくらいの期間やりとりした上であれば、合意が成立となるのかというところを明確に線引きすることはできません。
それぞれのケースにおいてどのようなやりとりがなされているのかを丁寧に把握していくことが、合意が理不尽にもひっくり返されないために大事なことだと思います。