弁護士コラムcolumn

「婚姻関係が破綻していると信じた」なら過失なし?       ――最高裁令和8年6月5日判決を読む

2026.08.05

2026年6月5日、最高裁判所第二小法廷は、不貞慰謝料請求における「過失」の判断枠組みについて重要な判断を示し、男性敗訴とした原審・高松高裁の判決を破棄し、審理を差し戻しました。不貞行為の相手方に賠償責任があるかどうかを左右する実務上のポイントを整理してみたいと思います。

事案の概要

夫婦は平成19年に結婚し、3人の子をもうけましたが、夫の自己破産や育児への無関心をきっかけに関係が悪化していきました。令和5年6月頃には同居しながらも会話はほとんどなく、連絡はメールのみという状態になっていました。同じ頃、夫は妻に離婚を考えていると伝え、妻もこれを了承。同年8月頃には、家計の分離やプライバシーへの不干渉を提案し合い、妻はすでに自分の記入欄を埋めた離婚届を保管していました。

 

妻は、相談相手だった男性に、この記入済みの離婚届や、夫との「家計分離・プライバシー不干渉」のやり取りをしたメールを見せています。男性はその後、妻と関係を持つに至り、令和5年11月14日、夫婦は協議離婚を成立させました。離婚後、夫は男性に対し、不貞行為を理由に330万円の慰謝料を請求しました。

高裁は「鵜呑みは注意不足」と判断

原審の高松高裁は、令和5年8月頃には男性と妻が肉体関係にあったと推認し、男性が妻から「離婚した」との報告を受けていた可能性は相当程度あるとしつつも、「離婚した、あるいは破綻していると虚言を弄して不貞に及ぶ者が多いことは世上よく知られており、これを鵜呑みにするのは注意が足りない」として、男性の過失を認め、賠償責任の一部を肯定しました。

最高裁は「破綻を信じた相当の理由」を別途審理すべきとした

これに対し最高裁は、原審の判断には過失に関する法令解釈の誤りがあるとしました。ポイントは、審理すべき論点が実は2段階あるという整理です。第一に「離婚が成立したと信じたことに相当の理由があったか」、第二に、それとは独立して「婚姻関係が既に破綻していると信じ、かつそう信じたことに相当の理由があったか」です。原審は前者しか検討していませんでした。

 

本件では、記入済みの離婚届や、夫婦間で家計分離・プライバシー不干渉を取り決めたメールのやり取りを見せられていたことから、男性が、妻だけでなく夫の側も夫婦としての共同生活を解消する意向を示していると認識し、婚姻共同生活の実体がすでに失われていると受け止めた可能性があります。最高裁は、この点を審理せずに直ちに過失を認めた原審の判断を違法とし、高松高裁に差し戻しました。

過去の判例との関係

この判断は、夫婦関係が破綻した後の肉体関係については不法行為責任を負わないとした平成8年3月26日の最高裁判決の考え方を踏まえたものです。不貞行為が違法とされるのは「婚姻共同生活の平和の維持」という利益を侵害するからであり、その利益がすでに失われていれば、原則として賠償責任は生じないという理屈です。

 

あわせて補足意見では、不貞慰謝料と、不貞相手が夫婦を離婚に追い込んだことに対する「離婚慰謝料」とは訴訟物が異なり、明確に区別して審理すべきだという注意喚起もなされました。離婚慰謝料は平成31年2月19日の最高裁判決により、離婚させることを意図した不当な干渉があったなどの特段の事情がある場合に限られるとされており、両者の混同は避けなければなりません。本件でも、原告側には「不貞行為によって離婚を余儀なくされ精神的苦痛を被った」との主張が見られましたが、補足意見はこれを不貞慰謝料の請求とは別物として扱い、あいまいな場合には裁判所が釈明権を行使して整理すべきだと指摘しています。

 

なお、この判決は第二小法廷の4名の裁判官全員一致の判断として示されました。特定の裁判官の個別意見にとどまらない点で、判例としての安定性も高いと見てよいでしょう。

実務への影響

判断枠組み自体は平成8年判例の延長線上にあり、法理論として目新しいものではありません。しかし下級審実務では「離婚したと信じたか」という一点のみに審理が偏りがちで、破綻の有無という独立した論点が見落とされる傾向がありました。本判決はそこに一石を投じた意義が大きいといえます。

 

今後、不貞慰謝料が争われる事案では、①婚姻関係が破綻していたか、②破綻していたとすれば、その時期と肉体関係を持った時期の先後関係はどうか、③破綻後の関係であれば認識のいかんを問わず請求は棄却され、破綻前であれば破綻を信じたことの相当性を審理する、という段階を踏んだ審理が求められることになります。不貞行為の当事者にとっても、相手から示された事情がどこまで「離婚の意思」ではなく「婚姻共同生活の実体の喪失」を裏付けるものだったかが、責任の有無を分ける重要な判断材料になります。差し戻し後の高松高裁がどのような事実認定を行うかにも、引き続き注目したいと思います。

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